目標に対しての執念。執念が強い人はやっぱり強い。
今回僕は全日本パワーで3位になりましたが、結果的に「なんでもいいから3位を獲る」という気持ちの強さが、現実に向かったと思います。
まず気持ちですが、○○になりたい!勝ちたい、という気持ちがないと、地図の無い道を漠然と歩く事になり、歩きようがなく、流れのまま歩くことになります。
現代は流れのままに歩いて何気に好きな物、やりたい事を見つかって、そこから目標を立てるパターンが多いかなと思います。
大体のパターンで目標達成は「逆算」です。
- 大会で○○になりたい。プロになりたいなど
- なりたいものの結果を仕入れてゴール地点を調べる
- ゴールまでの道順を決める。予定を立てる
- ゴールまでの途中の小ゴールの設定をし、ある程度の期間、基準を決める
- それに向かって小ゴールをクリアし、大ゴールの目標に向かって進む
になります。もうほとんど同じです。
ここで、その過程や執念が他の人との違いになってきます
途中経過の執念の持ち方、諦めて別ルート開拓、または大ゴールそのものを変えてしまう。これらの大胆の良さが展開を変える
僕ら40代の世代では、基本耐えることが優先される世代。耐えて頑張ればなんとかなるという思想が大半を占めました。
ちなみに僕は耐える事が昔から「出来ませんでした」
成長が見込めないと思えば直ぐに「逃げました」
ただ、そんな人間でも
- 全日本パワー3位
- アジアマスターズパワー優勝
- 全日本高校パワー5位 全日本ジュニア3位
- ボウリングはAVG210 リーグ戦何度か優勝
- 力餅も前後にタイトルホルダーいる中で3位
- ケトルベルS1ケトラー
- 琴奨菊関の優勝
- 世界、アジアマスターズ王者の排出
- 競輪選手の排出
と実績として、事実はあります。
自分として他人よりあるなと思うのは
「勝つ事への手段を選ばない執着心」
これだけはあったように思います。
自分で素材そのものが良くて勝負になると思うものは1個もありません。
しかし手段、方法、心理、現実を分析して、他人や敵の穴を探り、強くなるでなく勝つ事にシフトは自分で客観視できている方かなと思います。
実際素材が良い人で僕が指導すると、あっという間に自分の成績を越えられてしまいます。
これは僕の分析力は当たっていると思っていますし、事実が出ているのでそうでしょう。
これは私の考え方。そして他人ですが
- とにかく少し兆しが見えたら、とにかく耐えてでもやる
- 常に目標を口にして、それを実現しようとする
- 体調を重視しやれる時にドカンとする
- 人を蹴落として、自分の展開に持ってくるように仕向ける
色々な選手がいます。途中経過はその人ができるパターンでやればいいと思います。それがその人の色です。
ただ勝つ人の僕が今まで見たパターンで
- 大目標からの逆算はできている
- ヤンキー系は強い
- 計算したら実際有り得るパターンの豪語は強い
- 目して語らずは弱い
このように見えました。
簡単に言えば、その人にとって勝つ展開が見えた時に、「口に出してそのプランを、出来ると宣言する人」
は強いです。
口に出すことで目標が認識し
できる事を口にすることでできると認識し
またはハッタリでも口にすることで、物事をやろうとするからです。
口にする、字で書く、ブログを打つ、SNSで見てもらうはかなりの動機、モチベーションになります。
加藤一二三がキリスト教に入信して名人位をとった事実。それは宗教という物、場所、雰囲気を借りて目標達成を言い続けた事
将棋棋士、加藤一二三の動画を見ました。名人やタイトルホルダーを獲得し、藤井聡太2冠と同じ、中学生棋士となったエリート中のエリートです。
今はひふみんとなって、お茶の間を楽しませてくれていますが、勝負師の中の勝負師です。
そんな加藤九段でも行き詰まりを感じてキリスト教に入信します。
そこで日曜礼拝などで、必死に祈る加藤九段がいます。尋常ではないぐらい祈るのだそうです。
加藤九段曰く
人の家に、夜中にドンドンドアを叩いてパンをくれという。
住民を鬱陶しいから出ない。またドアを叩く。
もちろん鬱陶しいから出ない。3-4-5度と繰り返す。居留守使ってもうるさくて止まらないからしゃあなしに出てパンを渡す
私の神への念じ方はこのやり方です。と
僕は西宮神社の氏子として開門神事に携わり
家に神棚はあり、色々な神社の正式参拝は沢山しました。
しかし神が願い事を叶えるか、叶えないかと言えば、はっきり答えは出ます
「叶えません」
叶えて貰えるなら、僕はもっと世間的に認められるだろうし、コロナなんて終結があっという間だろうし、世間で戦争なんぞありません。
それどころか宗教を盾に人殺しをしている事実はなんて説明できるのですか?
ただ、宗教を利用した目標達成は
「かなり利用できるな」と思います
祈る事、やりたい事を口にする、頭に描く、想いを強くする場所こそが宗教の場であって
それが神社か寺か、キリスト教かイスラム教かヒンズー教か、または別の宗教か。
それが自分はどれが合うか?または必要ないか?
の違いかと思います。
キーワードはやっぱり口にする、書く、想う
有言実行が単純に行動しやすい状況になる。
実行が想いと違う結果になる場合も多々ありますが、その方向に向かおうとする事は確かです。
結局は想いはその方向には確実に向かう
口や紙やsnsで言う方がいい
目標達成に向かって逆算は絶対
執着心がある方が確実にその方向には向かいやすい
と、自分は感じます。